徳島県鳴門市、霊山寺(りょうぜんじ)の山門の前。早朝の空気のなかで、白衣(びゃくえ)に菅笠(すげがさ)の二人がすれ違う。
片方は、これから歩き始める人。片方は、四国を一周してここに戻ってきた人。
門は同じ門で、空も同じ空、足もとに敷かれた石畳も変わらない。それなのに片方にとってここは「始まり」で、もう片方にとっては、「終わり」と呼んでよいのか少し迷う場所である。
始まりと終わりが、同じ一点にある。
これは、どういう旅なのだろうか。
世界を見渡せば、巡礼にはたいてい “終点” がある。
スペイン北西部のサンティアゴ・デ・コンポステーラには、聖ヤコブ(大ヤコブ)の遺骸を伝えるとされる大聖堂がある。フランスやポルトガルから何百キロも歩いてきた巡礼者は、ここで「コンポステーラ」と呼ばれる完歩証明書を受け取る。ラテン語で書かれた一枚の紙に、彼または彼女の名前と、何キロを踏破したかが記される。聖ヤコブの遺骨が9世紀にこの地で発見されたという伝承の歴史的真偽は、研究者のあいだで議論が続いているが、その信仰的な重みを疑う者は誰もいない。
サウジアラビアのメッカには、立方体の聖殿カアバがある。世界中から集まったムスリムは、その周囲を反時計回りに七度回る。男性巡礼者は縫い目のない白い布「イフラーム」(階級も国籍も消す二枚布)を身にまとい、女性は各自の慎ましい服装で巡礼に臨む。七周し終えれば、ハッジ(大巡礼)の儀礼の核心は終わる。
エルサレムの神殿の丘も、アブラハムの三つの伝統(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教)それぞれにとって深い意味を持つ場所であり、巡礼の形態と強度は伝統ごとに大きく異なるが、宗教的な重力が一点に集中している点では共通している。
巡礼者の多くにとって、巡礼とは「あの場所」に辿り着くことだった。地図のうえに一点を置き、その一点に向かって、線を引きながら近づいていく行為だった。
では、四国遍路の “終点” はどこか。
答えに窮する。なぜなら、四国の道は戻る道だからである。
1,142キロの円環
四国八十八ヶ所霊場の巡拝路は、全長およそ1,142キロメートルある。
徳島県の霊山寺(第1番)を起点に、高知の海岸線を辿り、愛媛の山々を越え、香川の大窪寺(おおくぼじ・第88番)に至り、再び霊山寺に戻る。
この数字には注釈が要る。他のガイドブックでは1,200キロメートル、あるいは1,400キロメートルと記すものもある。これは奥の院(各札所に附属する山中の聖地)や別ルートをどこまで含めるかの違いによる。1,142キロメートルという値は、四国四県の遍路道保存活動を担う団体が丹念に測量した結果として出された数字で、現代の歩き遍路が最も依拠する値である。
1,142キロメートルという距離は、東京から福岡までの直線距離(約890km)より長い。歩くと、平均して40日かかる。健脚の遍路でも35日前後、ゆっくり歩く人は50日を超える。
札所(ふだしょ)、すなわちお参りするお寺は、その道のうえに88か所、ほぼ均等な間隔で並んでいる。一日に二、三ヶ寺を打つ(お参りすることを「打つ」と言う)のが標準的なペースになる。「打つ」という動詞は、かつて巡拝者が木製や金属製の納札を寺の柱や山門に釘で打ちつけて参詣の印とした古い慣習に由来する。
88という数字の由来については、いくつかの説が並立している。
仏教経典『倶舎論』に説かれる「八十八使」、すなわち苦集滅道のうち集諦のもとに数えられる八十八種の煩悩を断滅する数として採用したという、寂本『四国巡礼功徳記』(17世紀)の説。これは大乗仏教でよく知られる「百八の煩悩」とは別系統の数論である。
男42・女33・子13という三つの厄年の合計が88になる、という俗説。
八十八の漢字が「米」の字に分解できるという説。
古代日本で「八」を満数とする思想に十と八を重ねた嘉数とする、宮崎忍勝の説。
いずれも確証はない。しかし、対応する伝統が複数あることそのものが、この数字の象徴的な厚みを物語っているとも言える。
『歩きお遍路ものしり帖』は、円環という大枠についてこう書いている。
四国遍路(『お四国』ともいう)とは、弘法大師(空海774〜835)が修行したと信じられている四国に点在する八十八ヶ所の霊場を円環状に巡る壮大な寺院巡拝のことをいいます。全行程1,142kmの道のりを八十八の札所に、沿道の自然に、風土に、文化に、石の仏に、人々に、そういう宝物に囲まれて『悟り』の境地に近づこうとする行為ではないか…
注目したいのは、「円環状に巡る」「壮大な」という形容と、それを支える 1,142km という具体的な数字である。距離だけでも壮大だが、形が円環であるというのが、この旅をいっそう異質なものにしている。
この円環は、整然と設計された円ではない。海岸線に沿い、山稜を縫い、川を渡り、人里を抜けて、地形に従って蛇行する。地図の上で見るとところどころで内側にくびれ、外側に膨らみ、決して幾何学的にきれいな○ではない。それでも、八十八という札所を順に結んでいくと、確かに「島を一周する」という形が立ち上がってくる。
形は曖昧だが、構造は明瞭である。それが、四国の道の不思議さの第一歩だと言える。
ルールがあるようでない旅
四国遍路の特徴は、距離以上に、その自由さである。
歩いてもいい。車でもいい。バスツアーでもいい。自転車でもいい。
時計回りでもいい。これを「順打ち(じゅんうち)」と呼ぶ。これは初心者向けの標準ルートで、案内板も順打ちを前提に整備されている。
反時計回りでもいい。「逆打ち(ぎゃくうち)」と呼ぶ。閏年に逆打ちすると、順打ちに対してご利益が三倍になる、お大師さまに出会いやすい、という民間信仰がある。ただし出典に目を通すと、この「三倍」の解釈は遍路道の案内板が整備されはじめた1980年代以降に広まった比較的新しい言い伝えで、古典の教説ではないことを書き添えておきたい。
全周を一度に巡らなくてもいい。たとえば一年目に阿波(徳島)の23ヶ寺を打ち、翌年に土佐(高知)の16ヶ寺を打ち、さらに翌年に伊予(愛媛)の26ヶ寺、最後に讃岐(香川)の23ヶ寺を打って、四年がかりで結願(けちがん——巡拝を終えること)する人もいる。これを「区切り打ち(くぎりうち)」と呼ぶ。
出発地さえ自由である。1番から始める必要すらない。
『四国遍路』は、この自由さをこう書く。
四国遍路は、『逆打ちでも順打ちでもよい』『どこから参っても、どこから終わってもよい』 このようなルールがあるようでない、このルールを許し、これを受け入れて旅をする。
「ルールがあるようでない」。これは、世界の巡礼を見渡したときに、いっそう奇妙に映る性質である。
比較してみる。
サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼で「コンポステーラ」と呼ばれる完歩証明書を受け取るには、徒歩で最低100キロメートル、自転車で最低200キロメートルを連続して歩いた・走った記録が必要である。記録は途中の宿(アルベルゲ)で押されるスタンプで証明される。
イスラムのハッジは、ヒジュラ暦の決まった月の決まった日に、決まった順序で儀式を行うものであり、日程・経路ともに厳格である。
日本のなかでも、たとえば西国三十三所は、和歌山の青岸渡寺(1番)から岐阜の華厳寺(33番)へと、概ねの番号順に巡るのが伝統的だと書かれている(『遍路と巡礼の社会学』を参照)。
そのなかで、四国だけが、「どこから始めてもいい」「どっち方向に回ってもいい」「何回かに分けてもいい」という旅を許している。
ここで、「許している」という言葉づかいが、すこし違うかもしれない。もっと正確に言えば、どの方向にもルールが立てられないのである。なぜなら、旅の “型” そのものが円環だからである。
円環には、始まりと終わりが内蔵されていない。地図のうえに一周分の輪を描けば、どの一点を「最初」と呼んでもよく、どの一点を「最後」と呼んでもよい。誰かが取り決めるまでもなく、構造そのものがそう告げている。
ルールが緩いのではない。構造が、ルールという形式を必要としていないのである。
「巡礼」ではなく「巡拝」
ここで、ひとつの言葉に立ち止まりたい。
四国の人々は、八十八ヶ所を巡る行為を「巡礼」と呼ぶことが少ない。「巡拝(じゅんぱい)」と呼ぶ。
これは些細な違いではない。
『歩きお遍路ものしり帖』は、こう書いている。
四国遍路には巡拝者の都合に応じて複数の巡拝の方法があります。これは四国遍路が島を1周する回遊型の巡礼であり、そのサークル上に並列の関係で八十八の札所が並ぶことによります。回遊型であるがために終わりのない旅となります。この特徴的な形態を四国遍路のアイデンティティーを示す意味かもわかりませんが『巡礼』に対して『巡拝』と呼びます。
辞書のうえでは、「巡礼」と「巡拝」の差はわずかである。けれども、ここで著者が指摘しているのは、語感そのものに含まれる構造への言及だと読めるだろう。
「巡礼」という言葉には、ある聖地に向かって “巡って” “礼をする” というニュアンスがある。最終的な礼拝の対象が、ひとつ、ある。
「巡拝」は、それぞれの場所をその場ごとに拝んでいく、という意味合いを持つ。中心に向かう動きではなく、円のうえを進む動きである。
“終点” がない旅だからこそ、“終点へ向かう” を含意する「巡礼」では呼べない。だから「巡拝」と呼ぶ、という読み方ができる。
言葉が、構造を映している。
そして、書籍が引いている「並列の関係で」という一語は、もうひとつ重要な性質を告げている。八十八の札所は、上下関係や格付けで並んでいるのではなく、円のうえに並列して位置している、ということである。誰がメインで、誰がサブ、といった主従の関係を持たない。
1番霊山寺は出発地ではあるが、それは「最も尊い」という意味ではない。88番大窪寺は到達地ではあるが、それは「最終的な聖地」という意味ではない。順打ちにとっての88番は、逆打ちにとっての1番のすぐ手前(2番目の札所)に過ぎない、という関係になる。
札所の格は、巡る方向によって入れ替わる。あるいはそもそも、最初から存在しない。
これは、第6号で改めて深く扱いたいテーマだが、序章の段階で記憶しておきたい一点である。
円環という形そのものに、意味がある
円環状の道は、ただ「目的地がない」だけの道ではない。
『歩きお遍路ものしり帖』は、円環という形そのものに意味を見ている。
円環状というこの不思議な形状は無限・完全・永遠を意味します。
無限(むげん)、完全(かんぜん)、永遠(えいえん)。いずれも、終わりという概念を持たない言葉である。
直線には始まりと終わりがある。それは目標を立てて達成するための形である。
円環には始まりも終わりもない。あるいは、無数の始まりと無数の終わりがある。どの一点を取っても始まりになるし、どの一点を取っても終わりになる。
日常生活は、たいてい直線で動いている。月曜から金曜があり、四月から三月があり、生まれてから死ぬまでがある。目的地があり、最短距離を選び、効率を考える。
『四国遍路』は、この日常を「目的地があるので最短距離を移動する二次元の生活である」と書いている。地図を平面に広げ、A点からB点へ最短で移動する平面の生活、というほどの意味になる。
それに対して、四国遍路は、同じページから引けば、「球体(三次元)の地球の上を永遠の時間(時間を加えて四次元)のなか、いわば四次元を体感しながら旅をする」と表現される。
平面の地図のうえに円が描かれているのではなく、立体である地球の表面に円環が刻まれている、という見方である。室戸岬で太平洋を眺めれば、それはわかると同書は書いている。地球が確かに球体であることが、海の彼方の水平線の弧として目に届く。
「四次元」という表現は、書籍特有の比喩である。けれども、訴えていることは明瞭である。時間に方向を与えない、終わりに辿り着かない、そういう体感のなかに身を置く旅、という意味である。
「四国病」という名のついた重力
そして、この円環の道に身を置くと、ある奇妙な現象が起きると報告されている。
『歩きお遍路ものしり帖』には、こんな表現が出てくる。
再び遍路に出たくなることを『四国病』と呼びます。この四国病はちょっと厄介です。その症状は四国外にいるとどこか落ち着かない自分がいます。そして四国の地で遍路に取り組むとあたかも安住の地にいるように安心感があり、それはあたかも母の胎内(胎蔵界)につながるような気もします。
胎蔵界(たいぞうかい)は、密教の用語である。母胎のように、すべての生命をその内側に抱える世界、という意味になる(後の号で詳しく扱う)。比喩と教義のあいだの滑りもまた、この一節を興味深いものにしている。母の胎内と宇宙的な胎蔵界は、この伝統では別々の二つを類比でつないでいるのではなく、二つのスケールで見たひとつの事実なのである。
注目したいのは、四国を一周し終えた人の多くが、終点の達成感ではなく、「また始めたい」「自分はまた、この円環のなかにいたい」という感覚に襲われる、と報告されている点である。
この種の感覚は、達成型の巡礼でも語られないわけではない。サンティアゴに辿り着いた人も、しばしば「もう一度歩きたい」と言う。けれども、それは「もう一度、あの達成感を味わいたい」という、達成の再演を求める気持ちに近いと考えられる。
四国の場合は、報告される感覚がやや異なるという。「達成をもう一度」ではなく、「あの円のなかに、ずっといたい」「離れると落ち着かない」という、留まる感覚に近いものらしい。
これを「四国病」という、ややユーモラスで、しかし深い言葉で表現したのは、四国の風土が長い時間をかけて生んだ呼び名だと言えるかもしれない。
病(やまい)という言葉には、ふつう、治したいというニュアンスが含まれる。けれども「四国病」は、同書も書く通り、「治そうとも思いません」という性質を帯びている。治したくない病。
それは、もしかすると病ではなく、円環の旅を一度知った者だけに残る、独特の “重力” のようなものなのかもしれない。
三つの問いを抱えて
ここまでで、ひとつの輪郭は見えてきたはずだ。
四国遍路は、円環の道である。終点がなく、出発地が自由で、方向が自由で、回数が自由で、戻ったときに「もう一度」という気持ちにさせる旅である。
これは、世界の巡礼の地図のなかで、極めて特異な位置を占めている。世界遺産に登録されているサンティアゴ・カミーノとも、ハッジとも、エルサレム巡礼とも、構造を異にしている。
そして、この特異性は、たまたまそうなっているのではなく、円環であること自体に、なにか意味があるからこそ、千年を超える歳月、人々を引きつけ続けてきたのではないだろうか。
そこで、これから始まるこの連載「円環の道・四国八十八ヶ所——終わりなき巡礼の秘密」では、三つの問いを抱えて歩いていきたい。
ひとつ。円環は、いつから円環だったのか。 誰がいつ、この円環の道を設計したのだろうか。それとも、誰にも設計されず、長い時間のなかで自然に踏み固められた道なのだろうか。
ふたつ。円環という形は、いったい何を意味しているのか。 平等。永遠。放浪。曼荼羅。輪廻。死と再生。同行二人(どうぎょうににん——一人で歩いていてもお大師さまが共に歩いているという、四国遍路独自の信仰)。これらの概念が、なぜ四国の道に集中しているのか。
みっつ。それは現代の私たちに、何を語りかけているのか。 直線的な達成、直線的な進歩、直線的な人生設計のなかで生きている私たちに、円環の道は何を差し出してくれるのか。
ここから先の14回で、ひとつずつ、この問いを解きほぐしていく。
直線型の巡礼の代表であるサンティアゴ・カミーノ。円環でも直線でもない第三の型を選んだ熊野詣。史料に潜って円環の道のはじまりを探す回。そして、円環がもたらす平等、時間、自己、死と再生、多神教の知恵、お接待(おせったい——通りすがりの遍路に食事や宿を無償で差し出す四国独自の風習)の風土を、それぞれの号で扱っていく予定である。
最終号で、もう一度この門の前に立ったとき、最初に立った時の自分とは、何かが変わっているはずだ、と編集部は考えている。
それでは、もう一度、霊山寺の山門の前に立ち戻ろう。
出発する遍路と、戻ってきた遍路が、同じ門ですれ違う。あの一瞬は、どういう一瞬だったのか。答えは、これから一年かけて。